ムスメ出産
ホカツとは関係ないのですが、出産の話を少々。。。
無事ホカツの第一歩を踏み出した後、里帰り出産のため、すたこらさっさと東京を後にした。
実家での約2ヶ月間のニート生活は、今思い返しても、心底幸せだった。
子どもが産まれてくるのを心待ちにしながら、食っちゃ寝食っちゃ寝、モンハンにドラクエ。。。
最後の自由でしたね。
予定日より5日ほど遅れた土曜日。
なぜかオットが心配するフリをして実家にタダ飯を食らいに来た。
それまでは里帰り中の実家にツマの様子を見に来るという発想すらなかったのに…
そしてその夜、陣痛が来て、翌日の夜無事に出産。
オットは「父ちゃん来るの待ってたんだね〜」とヘラヘラしているが、私は出産に伴う大量出血でフラフラだし、下半身は痛いし、土曜の夜って時間外だから高くつくわ…と打算的なことを考えておりました。
出てきた我が子はフニャフニャの土偶みたいで、、、かわいい。
母になった自覚は今でもあまりないけど←、この子のことを全力で守りたいと思えた。
その気持ちが強すぎて、入院中は息してるかどうかずっと不安でほぼ眠れず。
退院してからは昼夜関係ない我が子に付き合い、ほぼ眠れず。
睡眠不足じゃカーチャン守れねっす。。。
その後約3ヶ月間、雪国で初めての子育てに悪戦苦闘しながらも、のんびりと過ごし、雪も溶ける頃に東京砂漠へと舞い戻るのでした。
ホカツの第一歩 〜妊婦時代
「世田谷の保育園は厳しい」
世田谷住まいだと知人に言うと、必ずそういう反応をされた。
が、何がどう厳しいのかすらわからなかったので、産休に入るやいなや、私の住まいの管轄である、北沢健康福祉センターに行ってみた。
女性の職員さんが対応してくれ、ホカツシロートの私にもわかりやすく、あれやこれやと説明してくれた。
職員さんの背後に、管轄内の認可保育園・認証保育園の空き状況が書かれたホワイトボードがあるのだけれど、その当時ほぼ「0」の数字が並んでいたのが印象的だった。
私はのん気に「ムスメが1歳になったら、認可保育園に途中入園しよう♪」などという、ベリースウィートな考えを持っていたのだが、あっさりと却下されることとなる。
認可どころか、認証保育園も空き0って!
職員さんに「もう区内に預けられるところはないってことですね・・・」と弱々しいイヤミを言ってしまった。
(この頃は認証でもない、いわゆる無認可保育園の存在すら知らない)
この日、冗談抜きで世田谷の保育園って厳しいんだ・・!と思い知ったことが、私のホカツの第一歩でありました。
保活はじめました
いま話題の保育園問題。
娘が産まれ、
何とかなるだろうと思っていましたが、
チキンな性格ゆえ、
認可保育園に入れなかったらどうしようと、
日に日に不安が増したので、
始めました。
保活。
備忘録として残していきたいと思います。